プロフィール

じめまして(*^-^*)

自分と他人を自然と切り離すことができ

本当の人生が生きられるようになる

《自己肯定 HSP ストレスフリーセラピー》

心理カウンセラー   稲石まよ です。

 

現在は、4人の子どもを育てながら、自身の経験と知識を生かし、

HSP専門カウンセラーとして活動させていただいています。

プロフィール カウンセラー HSP

 

【プロフィール】

・1982年、愛知県出身。世話好きな長女気質。親や先生、友達、みんなから“いい子”だと思われたいという想いの強い子供だった。

中学生頃から、周りの空気や、人の目を気にするようになり、普段から友達の顔色や空気を読んでみんなと仲良くし、孤独を回避する

・高校は、苦労をした母の期待に応えようと看護学校へ入学し、5年間看護を学び看護師免許を取得。

・卒業後、看護師として病院に勤務。責任の重さを痛感、緊迫する職場環境に完全に萎縮相手にどう思われるかを考えてしまい、悩んでも気軽に相談できない

・24歳で結婚、妊娠、長男出産。母になることを重く受け止め過ぎてしまったり、周りの独身の友達と比べて辛くなったり、自分が親になることをなかなか受け入れられない

・翌年、第2子を妊娠したが流産。”お母さんは悪くないよ”と言われても受け入れられず、考え出すととことんどん底まで考えてしまい、自分を責める

敏感気質の次男を出産。手の抜き方を知らなかった私は、誰かに頼るなんていう発想もなく、感情の起伏自己嫌悪を繰り返しながら、ただがむしゃらに仕事、家事、育児に奮闘する毎日を過ごす。

・保育園デビュー。ママ友作りに苦戦。社交的なママに憧れる内向的な自分にはできず、ただボッチにならないよう話を合わせてしのぐ。

・三男妊娠。家族や親戚に報告。義母からの心ない一言に衝撃を受ける。それからというもの、義母の言葉の一つ一つが引っ掛かるようになる。

・自分の思いを伝えられない長男に感情移入しすぎ自分の問題にしてしまう。育児アドバイザーに、自分と子供の境界線がないことを指摘されたが、なんとなくピンとこない。

・四男を出産し、産休に入る。ネガティブで自己否定ばかりする次男が気になる。苦しんでいた我が子の辛さに気づけなかった自分を責め、その辛さを想像してしまい自分が辛くなる

・ママ友とのお付き合い。距離感が掴めず、相手が望んでいることを察してしまうため、それを知りながら無視することの罪悪感に耐えられないから望みどおりに動いてしまい、ノーが言えない。それが蓄積され、人間不信に陥る。

・自宅での夫婦の会話も、かみ合わなくなる。私が考えていることを伝えても理解されず、夫の言うことや考え方も全く理解できず、私は夫婦の価値観の違いを受け入れられず、離婚を切り出す。

・救急看護師として職場復帰。一度にたくさんのことをしなければならない差し迫った状況にせかされる感覚責任の重圧自分の判断に自信が持てない。医師から大きな声で罵声を浴びせられる。まさにHSPに適さない職場環境。そんな思いで仕事を続け、気づくといつも寝不足のような状況で、さらに緊張状態に陥るたびに眠気が襲ってきた

・保育園での役員。グループラインでは、皆の一致団結したやりとりに気づかないうちにプレッシャーを感じる。楽しいはずが、自分で自分を追い込み苦しくなる。今思えば、自分の思い込みでずいぶん頑張りすぎてしまった。

・仕事中今までできていたことが突如できなくなる。ついに、心がSOSのサインを出した

・いくつかのカウンセリングを受け、メンタルクリニックでうつ病と診断され、通院が始まる。どちらも、一時的に悪い思考は緩和されるが、根本は何も変わらない生きている意味はあるのか。最悪なことを考えているうちに「もうなにも考えたくない」「楽になりたい」。そして、らちが明かなくなり薬を飲んで眠る。また、目が覚めると考え始める…。悪いことは不思議とどんどん湧いてきて、いつまででも考え続けることができた。

・大好きな空手と子供を通しメンタルトレーニングに出会う。空手の指導をしてきた自分が、わが子のために何かしてあげられることはないか。そう考えて行きついたのが心のサポートだった。これが、思いの外自分のことを知るきっかけとなる。

・自分の思考にさらに興味がわき、毎日本を買っては読み続ける。深く処理する能力が、過去の出来事を振り返えらせる。考え方ひとつで、徐々にだがマイナスに考えることが減ってくる。

「HSP」「HSC」「エンパス」という言葉に出会う。私はHSPの特徴の中でも、特に共感力が異常なまでに強く、感情一体型エンパスと一致。そう考えると、今までの人生で起きてきたことすべてに納得がいった

・友人と話をしていて、自分の経験と重なる。HSPと知らずに苦しんだ経験に共感してもらえたこと、身近にHSPの人がいたということが妙に嬉しかった。

・今までとは違うタイプのカウンセラーと出会い、内向型、外向型を深く知り、やっとパズルの最後の1ピースがはまる。悩んでいて辛かった時の自分が1番出会いたかった理想のカウンセラー像が出来上がる。

・現在私は、夫と息子4人の6人暮らし。それぞれのシーンでHSPの良さを生かし、今は自分自身の本当の人生を歩んでいる実感がある。

・当時の私は、周りの迷惑や、自分の評価を気にして「助けて」が言えなかった。正直、もっと早く頼ればよかったと思うが、あの時行動できたからこそ今があるとも思う。今の人生が辛い、生きづらいと思っている人には絶対に時間を無駄にしてほしくない。同じ気質を持ち、それを強みに変えることができた自分なら力になれると感じる。

・過去の私のように、一人で抱え込んで悪循環から抜け出せなくなる前に、うつ病になる前に気づいてほしい。もともと頼るのが苦手なHSPさんが自分の生きやすい生き方を、自分の力で切り開けるようになってほしい。1人でも多くのHSPさんが、少しでも早くその繊細で敏感な気質を持って生まれてよかったと思えるようサポートしていきたいと考える。

現在、自身の経験と専門的知識を生かし、様々な手法を用いてHSP専門カウンセラーとして活動している。

 

 

 

 

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【みんなから“いい子”だと思われたかった子供時代】

HSC 優等生

 1982年、愛知県出身。ごく普通の家庭の長女として生まれる。父、母、祖母、弟、私の5人家族。

小学生の頃は、仕切りたがりの世話好きな典型的な長女気質。

常に先生やクラスメイトの顔色を覗い、空気の変化や人の感情に敏感な子供だった。

正義感も強く、孤立している子がいると他人事とは思えず放っておけなかったり、喧嘩の仲裁に入ったり、とにかく周りの出来事や人の感情の変化に敏感で、常にいろんなことを考えては行動していた。

先生や親にいい子だと思われたい、友達からは好かれたい。そんな気持ちはもちろん強かったが、自分のことよりも、人の気持ちを優先して行動してしまう平和主義者だった。

また、友達から言われた一言をずっと引きずる何か指摘されると数日考え込むなど、悪い方へ考えた時も全力で落ち込む子供だった。

 

 

【友達の顔色や空気を読んでみんなと仲良くし、孤独を回避していた】

中学生 HSP

 中学生になると、さらに友人関係も具体的に感じるようになってきた。一緒にいて居心地のよい子、苦手な子、気を遣う子、好きな子、憧れる子、可哀そうな子。自分にとっていろいろな分類ができてきた。

一方、自分の行動は、それぞれの友人に対する対応は大して変わらなかった。常に顔色を覗って発言する気持ちを察して、その人のしてほしいことを先読みし、行動する場の空気を読んでタブーは侵さないよう行動する。これが自分にとって当たり前の行動だったし、そうすることで大きなトラブルにもならず、みんなと仲良くでき、孤独を回避できていた。

 

 

【苦労をした母の期待に応えようと、看護学校へ入学した】

看護師 HSP

 両親が価値観の違いを原因に離婚。私と弟は母親に引き取られ、3人での生活が始まった。看護師を志望することは自分の意思ではなかったが、母はいろいろと経験してきた中で、自分が成し遂げられなかったことを自分に期待しているのではないかと察した。女手一つで受験費用や学費などを工面することの大変さは聞かされており、弟の受験も控えていることを考えると、母のその期待に応えることと、自分が金銭的にも早く自立することが、最大限に空気を読んだ、みんなが平和でいられる最良の手段だと考えた

 

 

【看護師1年目。上下関係を知り、緊迫する職場環境に萎縮していた】

看護師 HSP 新人

 5年間看護学校へ通い、看護師免許を取得。

社会人になり、新人看護師1年目。命に直結する仕事であるためもちろん先輩の指導は厳しく、私は完全に萎縮していた。先輩は常に私がする処置を隣に立って無言で見ていたことを、監視されていると感じていた。その見えない圧力を感じ、緊張で自分の力が発揮できず失敗ばかり。多忙な職場であったため、自分のために時間を費やすことの申し訳なさもあり、わからないことがなかなか聞けない。医師や先輩看護師の表情を気にし”今の機嫌はどうなのか、忙しくてイライラしていないか”と観察しては、結局声をかけるタイミングを逃し、また失敗を繰り返す。”こんなことを話したら気を使わせてしまうかな”、”こんなに仕事ができないのは自分だけかもしれない”と思い、誰にも相談できなかった

ストレスは確実に溜まっていた。もう迷惑かけたくない失敗したくないがっかりされたくないという思いでまた一人で考え込み、すっきりしないまま、すべてに対してまた全力で取り組むしかなかった。

 

 

【母になることを重く受け止め過ぎてしまい、自分が親になることをなかなか受け入れられなかった】

妊娠 HSP マタニティーブルー

 24歳で結婚、妊娠、長男出産。いままで自分のことだけしていれば良かったのが、息子を出産したことでこれからは自分が守るべき存在の為に生きていかなければならないという極端な思考のために、母親という重圧に耐えられなくなった。まずは母親になるために、”自分のしたいことを優先する”ことを諦めた。しかし、心の片隅にある、独身で子供のいない友人たちと比べては”周りはみんな自由に遊んでいて羨ましい”と思う気持ちは消せなかった。

初めてのことでわからないことだらけの育児が始まり、混乱状態のまま半年が過ぎた。まず自分が母親になったということを受け入れるのに、お母さんとはどうあるべきものなのかを考え始めた。答えがなかなか見つからず、母親であることを受け入れることに一般的なお母さんよりも長い期間を要した。そして、自分のライフスタイルに赤ちゃんが加わるという環境の変化に適応することにも時間がかかった。今思えば、赤ちゃんの成長と共に、自分も母としての心が徐々に成長していったのだと思う。

 

 

【流産を経験し、自分を責めることしかできなかった】

流産 辛い HSP

 第2子妊娠。次は女の子かな?どんな名前にしよう。期待に胸を膨らませていたが、初期の段階で流産してしまった。何度も流産の原因を検索し、「初期の流産の原因はお母さんにはない」と、何度もこの言葉に出会ったが、その言葉が全く受け入れられず泣いて過ごす日々を送った。自分を責めても何も変わらないことは分かっていたが、考え出すととことんどん底まで考えてしまい、頭から話すことができなかった

私の頭の中は、”仕方ないこと”で片づけることの罪悪感、もしも自分が異変にもっと早く気づいていたら、もし自分が違う行動をしていたら、ひょっとして私が女の子を期待したからかも、そもそも私のところに宿らなければ元気に育っていたのかも。流産した原因が自分であることを裏付ける答えを病的なまでに深く考えていた

考えれば考えるほど戻れなくなり、夫と共に水子供養へ行き、何もせずただエコー写真を眺めて過ごした。そんな中、長男が私を奮い立たせてくれたことははっきりと覚えている。

 

 

【敏感気質の次男を出産。感情の起伏と自己嫌悪を繰り返しながら育児に奮闘した】

HSC 子育て 敏感

 次男出産。また自分のもとへ帰ってきてくれた嬉しさの反面、こんな私でちゃんと育てることができるのか、という恐怖もあった。

そして、守る存在が2つになった。次男は泣いてばかりの敏感気質二人のことを同時に考えることでイライラすることも多かった。次男を気にかけるあまり、長男にいろいろと我慢させていたことも多かった。

気を引きたい長男に対して、大きな声で叱り、その直後にひとりで反省会を繰り広げては、自己嫌悪に陥り、トイレにこもって一人で泣く。この行動を何度繰り返してきただろうか。そして、子育ての正解を探してはまた迷宮入りするという無限ループを繰り返し続けた。

普段から手の抜き方を知らなかった私は、仕事、家事、育児、すべて全力だったため、あっという間に時間が過ぎていった。助けを求めたらもっと辛くなかったと今ではわかるが、当時は誰かに頼るなんていう発想もなく、ただただがむしゃらに毎日をやり過ごしていた。

 

 

【社交的なママに憧れるが、自分にはできなかった】

ママ友 トラブル 辛い

 長男入園。保育園デビュー。私は自分から声をかけることができずにもやもやしていた。行事があると仲の良いママたちはグループになっていて、自分がどのグループにも属していないことに不安もあったし、自分の意見を言うことにも恐怖心があった。でも、みんな楽しそうにしている中、独りぼっちは恥ずかしい私が孤立したら子供も孤立してしまうかも。こんなことを考えず、楽しそうにしているママがうらやましい。いつも周りに友達のいるママがキラキラして見えた。子供つながりで話しかけてくれるママさんもいたため、一生懸命話を合わせて孤独を回避するのが精一杯だった

 

 

【義母からの一言に衝撃を受ける】

嫁姑 関係 嫌い

 三男妊娠。嬉しくて安定期に入るとすぐに家族や親戚に報告した。3人目ということもあり、みんな性別を気にしていた。そんな中、義母から「なんだ、また男⁉今度は女の子が良かったのに。」と心ない一言が。人が言うことなんて気にしなければ良い話が、私はずっとその言葉が忘れられずにいた。それからというもの、義母の言葉の一つ一つが引っ掛かるようになっていた。

出産したときも本当に義母は喜んでいるのだろうかと、表情や言動が気になり、自分の気持ちは完全に無視してしまっていた。

 

 

【自分の思いを伝えられない長男に感情移入しすぎ、自分の問題にしていた】

子供 言えない 泣く

 ある日、長男は保育園で誰かのカバンについていたキーホルダーを黙って持ってきてしまった。

見慣れないものを持っている長男に、「これどうしたの?」と聞くが何の返事もない。長男はしばらく黙っていたが、突然泣き出した。理由は最後まで言わなかったが、ただひたすら泣くことしかできなかった長男が気になって仕方なかった。なんで黙ってお友達のものを持って帰ってきたのだろう?理由を聞いているのになんで答えないのか?そして、今泣いている理由はなんだ?答えてくれない分、いろいろと考えてしまう。ここからは今思えばHSPだから気づけたことだと思うが、徐々に思考は深まり、私はこの子のことを何も知らないな、この子は私に話せない理由があるんだ、そもそも話を聞いてあげられる環境を作ってあげられていなかったんだ、忙しさを理由にこの子をちゃんと見ていなかったのかな、将来この子が悩んだときに母親として力になれるのだろうか辛いことがあった時に話せる関係でいられるのだろうかいじめにあった時に黙って死を選択してしまうのではないかきっとこの先も言いたいことがあってもまた今のように我慢させてしまうのではないか

今思えば、たった一つの出来事でここまでは考えすぎと言われてもおかしくないと理解できるが、あくまでこれは一例に過ぎず、こんなことを日々いくつも考えて過ごすのが当たり前だった。

こんな私をみていた友人は、育児アドバイザーを紹介してくれて、そのサークルに参加するようになった。そこでは、自分と子供の境界線がないことを指摘されたが、自分に原因があるとしか思えずなんとなくピンとこなかった。

 

 

【ネガティブ思考の次男の、自己肯定感の低さが気になり始める】

HSC 性同一性障害 子供

 四男出産。育休中に参加した育児サークルで自己肯定感という言葉を知った。ネガティブで自己否定ばかりする次男が気になった。2歳ごろから女の子の玩具ばかり欲しがり、ピンクや水色のフリフリや、キラキラしたアクセサリーが大好きで、プリキュアの衣装を着たがる子だった。私はもしかして性同一性障害?と、その可能性も考え、受け入れ態勢を作っておこうと考えていた(後にHSCであるとわかり納得がいった)。そんな息子を、夫は男だから男らしくと言い、長男は女みたいとからかったりしているのが日常だった。言い方は特に強くなくさらっと流しているようだったが、ある日次男が、「パパとお兄ちゃんがいつもいじめてくるから家が嫌い。」と言っていると保育園の先生から聞かされた。思い当たる節はあれしかない。でもそんなに気にするほどのことでもないような…。それが次男にとっては家が嫌いになるほどいじめられていると感じていたんだ、と思うと、それに気づけなかった自分を責め、可哀そうな事をして過ごさせていたんだという悲しい気持ちにまた悩まされた

 

 

【ママ友との距離感が掴めず、ノーが言えなかった】

ママ友 断れない

 一方、私のママ友との関係は、かなりこじれていた。というか、私がこじらせていただけだが…。ノーが言えなかったため、ああしてこうしてというママ友の要求はどんどんエスカレートする。しかし、そんな相手にも小さな赤ちゃんを抱えていて大変そうだし…などと感情移入してしまい、自分が大変でも協力してしまう。相手を傷つけるかもと思い、自分の意見(都合や気持ち)がすぐに言えない。相手が望んでいることを察してしまうため、それを知りながら無視することの罪悪感に耐えられないから望みどおりに動いてしまう。などが積み重なり、徐々にその特定の相手を嫌いになっていく。しかし、それに対しても、人を嫌いになるなんてよくない事、人を嫌いになってこんな風に思ってしまう自分が嫌だ、なんて心が狭いんだろう、という感覚に陥った。

できれば会いたくない、でも断れない、会うと疲れる、でも断れないからまた誘われる…。というように、悪循環が繰り広げられ、どんどん相手が嫌になり、断れない自分のことも嫌になり、人間不信に陥った

 

 

【夫婦の価値観の違いを受け入れられず、本気で離婚を考えた】

夫婦 離婚 復縁

 そして、自宅での夫婦の会話も、かみ合わなくなっていた。私が考えていることを伝えても理解されておらず、夫の言うことや考え方も全く理解できなかった。この人とは価値観が違いすぎるから一生理解してもらえない。この人のいうことも理解できないし、こんな風に考えるなんて受け入れられない。自分にも余裕がないのに、私は夫の世話をするためにいるんじゃない。このまま家政婦として利用され続けるなんて無理。通じない会話に時間を割くなら、子供と話をする時間にしたい。とにかく悪い意味で気になって仕方なかった

仕事から帰宅した夫を見るなり、毎日不機嫌な顔で帰宅して、自分だけが疲れているとでも思っているのか。と、同じ空間にいることで表情、言動、空気感を感じては苦痛になっていた

私は、夫は子供以上に手がかかると認識、子供たちにはこんな人になってほしくないというという結論に達し、離婚を切り出したこともあった。

 

 

【HSPに適さない職場環境で仕事を続ける】

看護師 辛い ストレス

 育休明けで救急看護師として職場復帰。救急という新境地へ足を踏み入れる。しかし、新しい環境への適応ができない

 新しい配属先では、緊急時は全員で協力体制。一人の命を全員で協力して救う。迷っている時間はなく、自分の役割を瞬時に判断し行動する。緊迫した状況の中で冷静になり、誰も担当していない処置を見つけ出し、すぐさま取り掛かる。同じ担当はいらない。これが私にとって最大の難関だった。一度にたくさんのことをしなければならない差し迫った状況にせかされる感覚責任の重圧自分の判断に自信が持てない、医師から大きな声で罵声を浴びせられる。これが日常的に繰り返された部署だった。

 3年近いブランクもあり、もともと容態が安定している部署で働いていたため、この状況は衝撃的であった。新人のつもりで1から勉強しなおし、同部署で働く人からのアドバイスを受け、とにかく今の状況を打破しなくてはと、仕事に費やす時間はどんどん増えていった

 誰のために何をしているのかと自問自答を繰り返す毎日。本来自分がしたいことは何なのか、今自分がしなければいけないことは何なのか。子供たちは今幸せなのか。常にそんなことが頭の片隅にありモヤモヤしていた。

 考えること4年。気づくと寝不足のようないつも眠い状況にあった。何とか睡眠時間は確保されてはいるものの、熟睡できていないのか、仕事中も緊張状態に陥るたびに眠気が襲ってきた。まさか、現実逃避か?ナルコレプシーか?またそれも検索しては悪循環にはまっていった

 突然、血尿が出たこともあった。膀胱炎はストレスからくることもあると知ると、少し自分にストレスがかかっていたのかなと、考えるきっかけになったこともあった。

 

 

【楽しいはずのグループラインが、自分で自分を追い込み苦しくなる】

ライン トラブル やめたい

 保育園では役員をすることとなった。役員一丸となってとても盛り上がっており、行事にはみんな常に前向きだった。これがまた、楽しい反面自分を追い詰めることにもなっていた。当時は全く気付いていなかったが、今思えば自分の思い込みでずいぶん頑張りすぎてしまった

 役員はみんな協力的で、仕事をしながらも膨大な量の役割を担っていたため、グループラインでの”私は今日これをしました”という報告や、”みんなで協力して成功させようね”という内容に気づかないうちにプレッシャーを感じてしまっていた。みんな自分と同じように仕事をしながら睡眠時間を削って頑張っているんだ。こんなに盛り上げてくれているんだから、みんなのノリに合わせて空気を乱さないようにしよう。これをしたらみんなはもっと喜んでくれるかも。この(役員の)中で、今動ける状況なのは私だけだから私がやるしかない。私の苦手なことはほかの人が頑張ってくれているんだから私も何か頑張らなきゃ。私の得意なことをみんなの役に立てなければ申し訳ない。ここで妥協したらみんなががっかりするんじゃないか。などなど、家事、育児、仕事の傍らこんなことまで考えていた。完全に境界線を見失っていた

 

 

【体が仕事への拒否反応を示して気づいた、心のSOSのサイン】

精神科 心療内科 カウンセリング

 そして、そんな状況がいつまでも続く訳もなかった。仕事中に、今までできていたこと、今まで知っていたこと、自分のなかでできて当たり前だったことが、突如できなくなった。ショックと同時に、また迷惑をかけてしまったという思い、なんてダメな人間なんだという思い、周りから絶望されたことの恥ずかしさが一気に込み上げてきた。

 ついに、信頼のおける人の勧めもあり、カウンセリングを受けた。その場は泣きながら訴え、全部吐き出せたような気がしたが、家に帰るとまたいつもの思考が始まった。別のカウンセリングでも同様だった。メンタルクリニックではうつ病との診断を受け、通院が始まり、薬物療法を試した。まず睡眠薬で熟睡時間を確保、日中は安定剤で気持ちを落ち着かせる方法。しかし、眠気は増すばかり。集中力は激減。一時的に悪い思考は緩和されるが薬が切れればいつもの通り。根本は何も変わらないのだった。薬物は必要な能力まで奪ってしまうと感じた。

 何もできなくなった私を、家族はそっとしておいてくれた。仕事もしばらく休んだ。

 その間も、もちろん私の思考は止まることなく動き続けていた。仕事もできない、家事もできない何のためにここにいるんだろうか。これじゃ迷惑しかかけていない。そもそも生きている意味はあるのか。死ぬとどうなるのか、でも子供たちがトラウマになるかも。子供たちに衝撃を与えない、いなくなり方はないか。と、最悪なことを考えているうちに、もうなにも考えたくない、楽になりたい、なのに考えることをやめられない。最悪な考えがどんどん出てくる、なんで出てくるのか。と、無限に考え続ける。そして、らちが明かなくなり薬を飲んで眠る。また、目が覚めると考え始める…。悪いことは不思議とどんどん湧いてきて、いつまででも考え続けることができた

 

 

【大好きな空手と子供を通し、心を見つめ直すきっかけとなる】

空手 うつ 効果

辛い状況は更に続いたが、ある日、メンタルトレーニングに出会った。きっかけは子供の空手の試合だった。勝負の世界、広い会場、相手選手たちの緊張感、親や指導者からのプレッシャー、負けられない、でも負けるかもしれない、怖いという自分の気持ちとの闘い、子供たちは小さな体でこれだけの強い刺激に耐えている。そこで本領が発揮できないのは仕方ない。だが、発揮できている子もいる。空手の指導をしてきた自分がわが子のために、この会場に来て何一つしてあげられない不甲斐ない何かしてあげられることはないか。考えて行きついたのが心のサポートだった。

 

 

【深く処理する能力が徐々にいい方向へ進み始め、自分がわかり始める】

読書 勉強 心

 心のことを学んでいくうちに、なぜか自分のことが少しずつ分かり始めた。変わっていく自分の思考にさらに興味がわき、毎日興味のある本を買いあさり、狂ったように読み続けた。あの時はこう考えれば良かったんだ。人との境界線はこうしたらよかったんだ。悪い思考の癖がついてしまっているんだ。こう言われたらこう思えばいいんだ。過去の出来事を振り返ってはこんな発見をした。友人に相談を受けた時には自分の得た知識を最大限伝え、大切な人が自分と同じ苦しみを味わう前に、なんとか阻止したいという思いは一層強くなった。

 そうしてアウトプットしていくにつれ、気づかないうちに自分自身が変わっていた考え方ひとつで辛かったことが辛くなくなり、楽しい、面白いと思えることも増えてきていたため、マイナスに考えることが減っていった

 

 

【HSP、HSC、エンパスと出会い、今までの辛い人生の謎が解けた】

チェックリスト HSP エンパス

 更に学びを深めていくと「HSP」という言葉に出会った。チェックリストをやってみてほぼ当てはまったが何か違う…。何かしっくりと来ない。この時はそれが何かはっきりとはわからなかった。

 それと同時に、次男が「HSC」であることにも気づいた。これは本当にしっくりきた。そして、性同一性障害ではないかと思っていた疑いが一気に晴れた瞬間だった。

 「HSP」関連の本を読みあさっていくうちに、「エンパス」というキーワードに出会った。私はHSPの特徴の中でも特に共感力が異常なまでに強かった。心理学を学んでいく過程で、なんとなく私はこれなのかな?と感じていた。ドラマ、漫画、ニュース、見るものすべて自分の気持ちだと錯覚してしまう。それも主人公にとどまらず、登場するすべての人物に対してそれが繰り広げられる。本当にテレビを見るときはものすごい集中力を要する。感情一体型エンパスと一致して、これはみんながそう感じていることではないのだ、ということに気づき、やっとしっくりきた。そう考えると、今までの人生で起きてきたことすべてに納得がいった。(HSPは出来事の記憶よりも、その時の感情の記憶が強く残るため、過去のことを鮮明に蘇らせることができた。)

 

 

【共感することが当たり前だった自分が、共感されることの喜びに気づく】

共感 友人 嬉しい

 そんな矢先、友人が辛い状況になっていることを目の当たりにした。話を聞いていくにつれて”この感じ、どこかで感じたことがある”と感じた。人に感情移入しやすい体質の私は、そんなことは日常茶飯事であったがこの時は何かデジャヴのように鮮明に記憶が蘇った。それは私が数年前に体験したことそのものだった。友人はなかなかその悪循環から抜け出せず、私よりも前からずっと苦しんでいた。私ならここから抜け出させてあげることができるという妙な自信と同時に、こんなに身近にHSPの人がいたことを嬉しく思えた自分のこと以外の出来事を自分のことのように感じてしまう自分の特徴を知り、そんな自分とうまく付き合えるようになってからは、人との境界線を知り、その友人とも今もお互い理解しあい、共感し合い、お互いの異なったHSP気質を有効に共有している。

 

 

【自分の理想のカウンセラー像が出来上がる】

カウンセラー 理想 相性

 私がプロとして意識を持ち始めた頃にあるカウンセラーの先生と出会った。それまでカウンセラーは話を親身に聞いてくれる人という概念しかなかったが、その先生は話を聴くことはもちろん、私が学んできたことも実践しており、”この先生はカウンセラーなの?”という疑問が湧いた。私の思考はそこから始まり、”カウンセラーって何?”に行きついた。私はその先生の講座を受けていくうちに自分がメンタルトレーナーの肩書にこだわりすぎていたことに気づいた。さらに学びを深め、そこでは内向型と外向型を深く知るきっかけとなった。私って内向型なんだ、そりゃ頑張ってもキラキラママにはなれないわ。それはパズルが一つ一つはまっていく感覚だった。そして、当時悩んでいて辛かった自分がその時に1番出会いたかった理想のカウンセラー像が出来上がった。

 

 

【自己肯定感を取り戻し、人との境界線を知ることで、自分自身の本当の人生を歩み始めた】

自分 居場所

 現在は、価値観の全く違う非HSPの夫、反抗期真っただ中の中学生の息子、小学6年生HSCの息子、自分を持っている頑固な小学5年生の息子、甘えん坊の末っ子小学2年生の息子の6人暮らし。私が自分を知り、HSPを知り、人との境界線を知り、自分らしい本当の人生を生きられるようになってからは、子供やママ友との境界線がわかり育児や人付き合いが格段に楽になった。そして、夫との境界線がわかり夫婦の関係が安定してきた仕事では、HSPを生かして自分の能力を発揮できるようになった。今は自分の強みを生かせるだけで、こんなに生きやすくなるのだと実感している。そして悪循環を自分の力で抜け出す方法を身につけたことで、下がりきった自己肯定感も取り戻すことができた。家庭でも、職場でも、ゆったりした自分の安心できる環境を、自分で作ることができている。

 

 

【カウンセラーとしてHSPの自分にしかできないことを発見する】

時間 大切 早く

当時の私は、周りの迷惑や、自分の評価を気にして「助けて。」が言えなかった。だから、自分の人生を生き始めるのに時間がかかりすぎた。今悩んでいる人には、あの時の自分のようになってほしくない。もしすでに辛くなっているのなら早くそこから抜け出してほしい。

今の人生が辛い、生きづらいと思っている人にはとにかく時間を無駄にしてほしくない

そのためには、人の力が必要。私は自分で考え、悩み続け、遠回りをしてから、何人かの人の力を借り、時間とお金をかけてきたが、自分だけより人の力を借りれば何倍も早く抜け出せる。正直、もっと早く頼ればよかったと思うが、あの時行動できたからこそ今があるとも思う。あの時行動していなければこの先も辛い数年を送っていたかもしれない。

そもそもHSPの人はなかなか「助けて。」が言えない。助けてと自分が発することで迷惑が掛かると思ってしまう、自分はまだまだ頑張っていないからもっと頑張れる、と思ってしまうからだ。

だから、そんな人のために自分から発信していきたい。そして見つけてほしい。

今自分が短所だと思っていること、辛い原因であるそのHSP気質。それをいち早く強みに変えてほしい。同じ気質を持ち、それを強みに変えることができた自分ならきっと力になれると気付いた。

 

 

【もしかしてHSPなのかな?と感じている人が、本当の人生が生きられるようになる方法】

HSP 生きづらい

過去の私のように、一人で抱え込んで悪循環の無限ループから抜け出せなくなる前に、うつ病になる前に気づいてほしい。そして、HSPで苦しむのではなく、HSPを楽しんでほしい。HSPは人一倍感受性が強いため、楽しいこと、うれしいことにも敏感。

人に左右されず、人との境界線を知り、自分の本当の人生を生きてほしい。そのためには、もともと頼るのが苦手なHSPさんが自分の生きやすい生き方を、自分の力で切り開けるようになってほしい。

5人に1人、人口の20%の特別なHSPの能力を最大限に生かしてほしい。これは、人のために何かしたいという思いの強いHSPさんの、その誰にでもあるわけではない能力を強みとして誰かに生かすことができ、そのことでさらに自分の自己肯定感を高めてほしい。そのためには、まず自分が幸せになること

今私はHSPの良さをたくさん知った。そして、喜びも、楽しさも人一倍敏感に感じ取っている。1人でも多くのHSPさんが、その繊細で敏感な気質を持って生まれてよかったと思えるようサポートしていきたいと考え、現在、自身の経験と専門的知識を生かし、様々な手法を用いてHSP専門カウンセラーとして活動している。

 

長文を最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^-^*)

もしHSPでお悩みでしたら、体験カウンセリングでご相談くださいね。

HSPなのかな?という方も、まだ自分がよくわからないという方も、お気軽にお問合せください(^-^)